SSブログ
コトバとデザイン ブログトップ
前の10件 | -

カムバーーーック!!! ペンだこ! [コトバとデザイン]

会社の最寄の出入口から御堂筋線に乗ろうとすると、下記の案内板がある。
さて、アナタならとっさに左右どちらへ行きますか?

midosuji.JPG

これ、最初見たとき、一瞬混乱したんですよね~(さすがに今はもう迷いませんが)。
船場センタービルが開いている時間は、右に行ってビルの中を突っ切ったほうが断然近いので、親切でそのように書いてあるのですが、なんかわかりづらい。
“利用時間の表示”と、“上記以外は左”の位置が近すぎるというか。。(ん?でも近いのはいいのか…)



というわけで、
このようにしたほうが、まだわかりやすいのでは…と、やってみたのが下。(一応、横長のスタイルと文言は変えないという制約でやってます。アリモノを切り貼りしたので、見た目は悪いですが^^)

midosuji2.JPG


どうでしょ?うーむ、まだ、わかりにくいかなー。。

*****
わたし、実は言葉で「左」とか「右」とか言われても、とっさにどっちかわからないんですよね~。
左右を判断するときに、「お箸を持つ手は、一般的には右。でも、わたしは左利きだから、えーっと」みたいな感じで、考えるので…。
だから、健康診断でバリウムを飲むときは、炭酸を飲んでゲップをしないように注意することよりも、台の上で左右の指示を間違えないようにすることのほうが緊張します。
あまりにも間違えるので、途中から、「ハイ、今と反対側~。そのまま回って~。次逆向いて~、ハイ、その姿勢まま止まって~」と、言い方を変更してくれた技師の人がいたぐらい。でも、声がちょっと笑ってたけど。。
(特に、混乱するのが、うつぶせの姿勢のとき。かなりの確率で左右間違えてしまいます。。)

昔はペンだこっぽいのが左にあったので、そっちが左と覚えていたのですが、今はキーボードの時代なので、なくなっちゃった。
カムバーーーック!!!ペンだこ!

レモン無果汁 [コトバとデザイン]

昨日、なぜか猛烈にラムネが飲みたくなり、会社帰りにふらっとスーパーに立ち寄る。
でもラムネは売っていなかった。
「しょうがない、何か炭酸系のもので我慢するか」と棚を見ていると、
クリスタルガイザーのスパークリングウォーターに目がとまる。

SparklingWater

一見、爽やかでソツのないパッケージなんだけど、良く見ると「レモン無果汁」と書いてある。
無果汁は、書かなきゃいけないんだろうけど、なんでまた、「レモン」と「無果汁」と「黄色」をあんなコンパクトに組み合わせたのか。。「レモン無果汁!」と、主張しなきゃいけない理由でもあるのかな?
あ、それに真ん中あたりにレモンの輪切りっぽいのをモチーフとして使ってるけど、これっていいのかな?果物の断面図をパッケージに使っていいのは、100%果汁のジュースだけと聞いたことがあるのだけれど。。
ま、レモンっぽいだけで、「レモンじゃないです!」といわれれば、レモンではないからいいのかな。
それに、黄色の丸にレモンの文字をのせることで、レモンっぽさは出てる。たとえ無果汁だとしても。
もしや、これは計算しつくされたデザインなのか?
なんか…そんな気もしてきた。

****
そう思ってみると、「レモン」の文字は読みやすいけど、「無果汁」は抜き文字で読みにくい。
これも計算かな。うーむ、そうだとしたら、すごい。ってか、きっとそうですよね。
もっと言えば、ミネラルウォーター100%の文字だって、あえて100%を主張する必要性って、ないといえばない。でも、全体から受ける印象を考えると、あったほうが断然いい。しかも、レモンのそばに%の文字を持ってくるあたり、クレバーですなぁ。
でも、ちょっと笑える。。これだけレモンっぽさを醸しだすなら、ホントにレモン入れたらいいのに^^。(そんな簡単に果汁って入れられないのかなぁ?)

デザインは内容や戦略を映し出す鏡である [コトバとデザイン]

今回掲載の動画は、ニュースペーパーデザイナーのJacek Utkoさんのプレゼンです。
英語、わっかんねー。でも、たぶん、、ですが、新聞はデザイン次第で生き延びる(売上を伸ばす)ことが可能だといってます。ポスター的にフロントページをデザインするんだって(雑誌風ではなく)。

確かに、紙媒体って情報の強弱とか構造がネットよりもパッと伝わりやすいですもんね。
情報を自分で探すばっかりでは、やっぱりしんどいし、新聞に限らずテレビなんかの既存メディアと、ネットって共存しそうな気はするけどなぁ。そりゃ、規模は縮小するかもしれないけれど(実際、既にしてるけど)、なくなったりはしないと思う。。

リアル書店とAmazonの関係も、欲しい本が決まっているときはAmazonが便利だけど、それじゃあ、自分の興味のある本しか読めなくなっちゃうので、「“なんか”本が読みたい」ってときは、やっぱり本屋をウロウロするし(従来の読書傾向からおススメされる本ではなく、意外性のある本も読みたいので)。
といいつつも、最近、Amazonでレビューのついていない本を買うのに躊躇する自分がいる。
けど、人の意見に引っ張られすぎて、自分の嗅覚で面白い本を探せなくなりそうなので、あまり依存するのはやめようかな…なんて思ったりもする。

■デザインは新聞を救えるか?
(Recorded at TED2009, February 2009, in Long Beach, California. Duration: 06:05.)


■Jacek UtkoさんのWebサイト
http://www.utko.com/

■ちなみに、今回の動画の元ネタは下記です
http://blog.ted.com/2009/03/can_design_save.php

なんか、まとまってないですけど、もっと(自分の)アンテナ感度を高めたいですね。
情報だけでなく、いろんなことに対する。
とりあえずは、英語、、わかるようになりたい。情報量がぜんぜんちがいますよね~?

コトバをデザインする人 [コトバとデザイン]

昨日買ってきた田中庸介さんの「スウィートな群青の夢」、読み終わりました。

・・・ すごい。
なんかわからないけど、すごい。
でも、すごいことは、なんかわかる、そういうすごさ。

やっぱり衝撃を受けた。アーティスティックですなぁ、という感じ。
個人のブログで、「普通の文章が詩になってる」と書いている人がいたのですが、そして確かに「え、これが詩?」って感じの文章なのですが、いきなり(引用していいのかな…。著作権的に問題ならご指摘を!)

冷房病のひとに

日本はアジアの東のはずれだから
大変よいスープ麺を食べることができる
その紹介からはじめよう

って、はじまるのって普通じゃないですよね。

でもなー、一般的におすすめできるかというと、微妙。
本屋で出合ったら、挨拶ぐらいはしてもいいかも、、って感じかな。
で、この人とは「合いそうな感じがする」と思ったら、購入してみる…という流れで。

私は「好き!」とはっきり言えるのですが。(でも、仕事の文章の参考にはできない)。
下の感じなんか、とくに好きですね。

(「武蔵野」から一部抜粋。面倒なので、斜体かけません。。)

ふと気がつくと、
ごんごん音がする。
離婚ニヶ月が経過し
運転途中で
止まってしまった
風呂に入ろうとして
新聞をつい置いたのだろう
その新聞紙が洗濯槽に
なぜ
もっと早く
気がつかなかったのだろう
不幸な事故である
あるいは迂闊なおこない、
白いへどろのような塊がある
次にぼろぼろとした紙の断片
大量の白色パルプ
そして微小で微細な紙の繊維にまみれたおれの黒いTシャツ。
わたぼこりが黒い布の表面をびっしり覆っている
今おれは自分の心の様相を目の当たりにしているのかとかんがえる
わーこりゃもう立ち直れないかも、
ぼろぼろと爪でそぎながら本当にまったく何ののろいなのかよと口に出す。
二度洗いしても三度洗いしても
なおなお悔恨の、
わたぼこりが一面に付着している
どうしようもない、は
しばらくはそのまま。
外のベランダに吊るし
風にさらして
忘れておこう

(このあとも、こんな感じで延々と続きます。ymg*)

どうですか?↓もういっちょ、こんなのも。

そうだ、時間はある。
急げ、まだ時間はある。
(「京都」 より一部抜粋)

もういっちょ。

まず初めに、混沌があった。
いや違うな。
まず初めには、何もなかった。
がらんとした空虚がひろがっていた。
(「わけのわからぬものとの闘い」 より一部抜粋)

うーむ。。すごい。
ところで、ついてこれてます??

文字組みトレーニングとふとした疑問 [コトバとデザイン]

文章(≒画面情報)の「読みやすさ(見やすさ)」について考える機会があり、「デザインのひきだし5」を引っ張り出して復習(マジメでしょ?)。

で、【読みやすい文字組みのポイント】は、
版面
盛り込む内容に対し、マージンやホワイトスペースなどが適切か?

書体
同じポイント(級数)でも、書体によって読みやすさが変わる。個性が強すぎたり、字面(レターフェイス)の大きな書体は、長文を読ませるのには不向き。

フォントサイズ(ポイント・級数)
必ずしも、大きいから読みやすい…というわけではない。書体や行間とも密接な関係がある。

行間
和文は、縦組みヨコ組みが可能なので、視線を誘導する役割もはたす。フォントサイズを落としても、行間を確保したほうが読みやすさを保てる場合もある(ただし、短文の場合は、行間をアケすぎると逆に読みづらい)。

字送り(カーニングや文字詰めといったりもします)
文字と文字の間隔。くっつぎ過ぎていると窮屈だし、離れすぎるとパラパラした印象になる。仮想ボディに対する字面(レターフェイス)の大きさによって、詰幅は調整が必要。「仮想ボディってなんじゃ?」「字面(レターフェイス)って??」という人は、続きは、下記でお勉強を↓
http://www.morisawa.co.jp/font/about/knowledge/index.html

あと、1行の長さもありますよね。長すぎても短すぎても読みづらい。

ちなみに、わたしは字送りのことを、“文字詰め”とか省略して“(字)詰め”と言ってしまっているのですが、一行の長さを表すときにも「字詰め」という言葉を使うので、今回こうして書いてみて、聞く人によっては混乱しているのかも…と思いました。
でも、「字詰めを調整してパラパラ感をなくしてください」とオーダーして、1行の文字数を変更する人はいないか。そこは「文脈で理解してよ!」って言える範囲かな。

しかし、深いですよね~。
読みやすさ・見やすさって、そういう細かいことの集合ですもんね。

そんなことを書きつつ、疑問に思ったのが、メールやブログで、やたらと行間を空けているものを見たりするのですが、あれってどういう意味なんでしょうね?
情報のかたまりごとに、空白行をつくるのは私も良くやるんですが、一行おきの空白行とか、写真の下にやたらと空白を入れるのって、私は、読みやすいというよりも、逆に間延びした印象に感じるのですが・・。せっかちなので、一目でパッとわかるようになってて欲しいのです。

似たようなことを、あのホリエモンさんもブログで書いてました。。
ホリエモンさんのブログは、たまに読むのですが、「そう!私もそれ疑問に思ってた!」ということが書いてあります。ブログやメールの行間のこともそうだし、行政関係の文書は、どうして“一太郎”で作成しているところが多いんだろう、とか。これ、本当にそうなんですよ。お役所関係から送られてくる文書って、大抵一太郎で作成してる。ワードのドキュメントに慣れているので、たまに見ると「ん、この拡張子jtdって何だっけ?」と思ってしまうんですよね。って、ただそれだけなんですけど。。

デザインと原稿のあいだ [コトバとデザイン]

またしても、お客様に原稿確認してもらうために、レイアウト作業もどきのことをしてしまった。これって、本当に誰がやるべき作業なんだろ?ってか、パワポであんなにちまちまと作業するぐらいなら、イラレで作ったほうがいいような。。ソフトに慣れればそのほうがきっと早いし、仕上がりもきれいだと思う。そのままデザイナーさんにも渡せるし。。けど初心者の作ったデータは、曲者ですけどね^^。(多分、「テキストでください」と言われること必至)。それに原稿段階であんまり作りこみすぎると、へんな誤解を受けるしなー。かといって、テキストのままだとちゃんと見てもらえないし。。
しかも、レイアウト要素が強いものって、原稿を作るときも、ある程度ラフ書かないと、必要な文言が浮かんでこない(記事モノは別)。。例えば、ここは本文に溶け込ませるんじゃなくて、目立たせたいから、ふきだし作って入れようとか。この辺に見出しを作ろうとかって、ある程度絵が見えてないとできないですよね?(少なくとも私はできません!)
うーむ、皆さんどう役割分担しているのかな~。原稿がラフな状態で、どかーんとデザイナーさんに渡しちゃうのかな。でも、それって、デザイナーさんが苦労しそうだし、ムダが多そう。けど、私の今日の作業もムダっていえば、ムダだ。むむ~???

本日は、自宅にPCが退院してきているはずだけれど、帰ってからつなぐ元気はきっとないかも。

デザインから意味を読み取る [コトバとデザイン]

2つ前の「消しゴム消費率の高い人」の記事を読み返していて、ふと思ったことが。なぜかあまり経験がないので頭から抜け落ちていましたが、デザイン先行の仕事って、世の中にはある。ダミー写真でざくっとレイアウトしてあって、キャッチと何字×何行のボディーが入る、みたいに指定してあるやつ。世の中的にはむしろそっちのほうが多いかも。で、あれはあれで、やりやすい。なんか、設計図をわたしてもらったような感じ。書く前に分量が見えているから、書きながら調整して、テキストを渡すのみ。レイアウトからデザイナーさんの意図を汲み取る必要はあるけれど、それも結構楽しいし。「こういうつもりなら、こうでしょ?」ってテキスト送ったら、「その通りです!LOVE!ありがとう!」とレスポンスがあったりして。

やっぱり結論は、どっちもアリで、お互いのコンセンサス&コミュニケーションがとれていれば、うまく仕事が運ぶってことなんだろうな。
あと、意外に私、ノンバーバル・コミュニケーション(※意味は『ビニールシートから広がる心理学』の記事を参照してください)が得意なので、デザイン意図を想像するのも結構好きです。

消しゴム消費率の高い人 [コトバとデザイン]

この時間、まだ事務所にいます。今やっている仕事に手間取ってしまった。。というのも、文字量がいっぱいすぎて、収まるかどうか、ちょいとレイアウトもどきのことをして、分量を見ていたから。。お客様からの提供原稿がほとんどなので、勝手にばっさりカットすることはできないので。。まぁ、凄腕デザイナーさんの手にかかれば、何とか収まりそうということが見えたので良かったけれど。

けど、毎度思うけど、私がごちゃごちゃサムネールを描いたり、パワポなんかに文字を流してみて、全体を見るのって必要なのかなぁ。。デザイナーさんからしたら、どこに原稿をおくべきかが見えるので、わかりやすいかもしれないけれど、その反面、表現の幅を狭めているだけかもしれず。それに、原稿の中身を理解して、どこにどういう風に文字を配置して、写真を置いて…みたいなのは、デザイナーさんの仕事というか、楽しみのように思えてならず。。
だって、私がもし文章構成を決められて、「ハイ、この通りの展開で書いて!ここは500文字ね」なんて言われたら、きっとかなりやりづらいだろうな、って思うから。それに、そこまでするなら「自分でやったら?」と思うだろうし。きっとデザイナーさんも、びっちびちに指定された原稿を見ると、そういう気持ちになるのかもしれないなぁ、なーんて思ったりして。

それに、変に作り込みすぎると、それが良いんだ、と勘違いされて、まんま上ってくる怖れもある。かといって、「こんなの入るか!」みたいな原稿を渡すわけにもいかず、結構ジレンマです。

もちろん、私が書いたサムネールを見事に理解して、さらに工夫を加えて美しく仕上げてくれるデザイナーさんもいる。そういうデザイナーさんに対しては、お客様や原稿作成者の意図を伝える意味で、できるだけいろんな情報を盛り込んだサムネールを書くのもアリかなぁ、なんて思うけど。

どこまでを誰がやるのがいいんでしょうね?
もちろん、私がやってもいいんですが、なんか、いつも「???」と思いながら、消しゴムのカスを机に大量に散らばす日々。いまどき、オフィスでこんなに消しゴム使うのって私ぐらいかも。

原稿を作るのはテキストでやってるけど、それをデザイナーさんに伝えるとき、どうすればわかりやすいんだろう?
テキストだけ用意して、「あとは適当にうまいことやってください!」というほうがいいのなぁ。

おっと、23:00。それでは、これにて。

好きなだけじゃダメなんです! [コトバとデザイン]

先日の日曜日、グループ会社の先輩コピーライターとヘロヘロに酔っ払いながら語ったことは、奇しくも5月6日の記事で書いた「デザインはコトバで説明できないとダメ」という主旨とかなり似ていた。先輩曰く、「これ、かわいー」とか「カッコいい」とか、「好き!」だけでデザインは終わったらダメだと。

「好き」から始まる感覚は、大事にすべきとは思うけれど、さらにもう一歩、「なぜ、かわいいと感じるか」、「なぜ、好きか」、「そもそも今、“好き”を使っていい場面なのかどうか」にまで踏み込まないとダメなんだ、ということなのだろう。

たしかに、フロントに立つ人間がお客様を前に「この色は、私が好きだから使いました」なんて言えない。感覚的にすごく信頼されていたり、対象ユーザーがモロ自分にあてはまるときには、有効かもしれないけれど。

これは、お客様に説明するときだけじゃなく、デザイナーさんに説明するときも然り。
「ユーザーはこういう人だから、色使いはやさしく、かわいくしたい」とは言うけれど、単に「なんかカッコよくして」「なんかかわいくして」みたいな、個人の感覚だけに偏った言い方はしないようにしてる(よね?)。

でも、一方で、良いと思ったことに対して、「好き」とか「良いです!」と言える素直さは持ち続けたいと思う。出来たモノに対する批判は、わりとカンタンだけれど、「好き」と言うにはやっぱり勇気がいるから。

つまるところ、好きは好きでも、好きなだけじゃダメなんです!というところかな。

今日のところは短めに。

明日は、昼から商品撮影。私の手を入れて撮影します。何だかますますライターの仕事から離れつつある。でも、結構楽しい!
今日は、手のお手入れをして休まねば。。ってまだ事務所だけど。

情報のデザイン [コトバとデザイン]

5月6日の記事で、デザインは言葉による説明も大切なんだということを力説したけれど、
実はアートの世界でも言葉による説明は必要とされている。
美術館・博物館の作品のヨコに付けられている説明書きや音声ガイドなどがそれ。

以前、ミュージアムの展示デザイナーに取材をしたときに、展示デザインとは「モノを見せるためのデザイン」をすることで、それは大きく2つに整理できるという話を聞いた。
1つ目は、展示されるモノと人をとりまく「空間」をデザインすること。
もう1つは、モノに関する「情報」を伝えるためのデザインをすること、なのだそうだ。

空間をデザインすることについては、何となくイメージできるけれど、
「情報をデザインする」とは、具体的には何をしているのか。
簡単に言えば、展示テーマの解説パネルや作品の横についている説明書きのデザインをしている、ということになるのだけれど、「じゃ、それってグラフィックデザインのこと?」というと、そうでもない。もちろんそれも含むけれど、もっと大きな意味でのデザインを指している。

たとえば、見せる側の学芸員さんとしては、楽しんでもらいたいので説明をたくさん書きたい。
でも、詳しく書きすぎると、説明を読むために人の流れが止まってしまう。
混雑が予想される企画展でそんなことが起きると、モノを見たいと訪れた人が結局楽しめなくなってしまう。

さて、そこで、どうするか。

遠くからでも見えるようにパネルの大きさや置く位置を工夫したり、説明の文章量を少なくしたりして、動線のコントロールを考えるんだそうだ。
つまり、「情報」の伝え方からデザインするということだ。
見た目の美しさや、読みやすさだけではなく、人の動線まで配慮したデザイン。深い!

自分の仕事に関連させれば、Webデザイン・Webライティングも、領域としては近いところにあると思う。どう見せたら、どう情報を伝えたら、1番目的にかなうのか。

そんなことをつらつらと考えていると、社会心理学や認知心理学の世界を思い出して、学生時代に戻ったようで楽しくなってきた。これをつきつめて方法論を確立すれば、もしかしてスゴイWebライターになれるかも(妄想?)。

もう1つ、上の取材で面白かったのは、ミュージアムにやってきて、作品やモノよりも、説明を熱心に読んで満足して帰っていく人が結構な数いるという話。

実はこれ、私も思いあたる!
「せっかくだから、作品が作られた背景まで味わいたい」と欲張って、熱心に解説を読んで、肝心の作品の前では、「へー、そうか」と情報確認するだけで終わってしまう。
でも、「満足して帰る」というところにポイントを置けば、説明を読んで帰る人(=私)だって、十分目的を果たしているともいえる。
説明全くナシで、アートが楽しめるかというと、そこまでの知識はないしね。

なんか、まとまりがつかなくなってきたけれど、情報のデザイン(説明のデザインや、コトバのデザインと言い換えてもいいかも)は、これからの私のテーマだということだ。

思いのほか、長くなってしまった。
前の10件 | - コトバとデザイン ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。