素晴らしきこの世界 <酒場っ子> [本]
昔から割とお酒は好きな方だ、と思っていた。
毎日の晩酌にビールを飲んでいたこともある。
日本酒が好きかも…と思ってみたこともある。
しかし、この本を読んでようやく腑に落ちた。
酒が好きというよりも、私は「酒の席」が好きなのだ。
そうか、そうか。そうなのだ。
それでいくと、私が好きなのは、ふわっとほろ酔いで、何を聞いても楽しくて面白くて、その場にいる人がみんな笑ってて、おいしい料理があれば、なおよしという感じかな。
というわけで、やっぱり「店」というより、酒の「席」というか「場」が好きなもよう。
って、つまりは酒の場→酒場→酒場っ子、バンザーイ!ってことですね。
しかし、著者のパリッコさん、「本書は書下ろしです」って大衆酒場愛が凄すぎです(笑)
毎日の晩酌にビールを飲んでいたこともある。
日本酒が好きかも…と思ってみたこともある。
しかし、この本を読んでようやく腑に落ちた。
酒が好きというよりも、私は「酒の席」が好きなのだ。
人はなぜ酒場に通うのか?
安上がりにてっとりばやく酔っぱらいたいならば、家で飲めばいい。純粋に「美味」を追求したいならば、専門店や高級レストランに行けばいい。それでも我々酒飲みは、今夜も飽きもせず、飲み屋の赤ちょうちんに吸い寄せられてしまいます。
それは、酒場というほんの少しの「非日常」が、職場と自宅という別々の日常の場をスムーズにつなぐ潤滑油になるからではないでしょうか。ひとり静かに飲む、仲間と大いに笑う、老舗の空気に浸りながら、チェーン店でとことん気楽に。人により、好きなお店の条件はさまざまで、だからこそ酒場はおもしろい。
そうか、そうか。そうなのだ。
それでいくと、私が好きなのは、ふわっとほろ酔いで、何を聞いても楽しくて面白くて、その場にいる人がみんな笑ってて、おいしい料理があれば、なおよしという感じかな。
というわけで、やっぱり「店」というより、酒の「席」というか「場」が好きなもよう。
って、つまりは酒の場→酒場→酒場っ子、バンザーイ!ってことですね。
しかし、著者のパリッコさん、「本書は書下ろしです」って大衆酒場愛が凄すぎです(笑)
本は、世の中の酸素だ <モンテレッジォ小さな村の旅する本屋の物語> [本]
会社帰りに行きつけの(?)本屋さんで、ひさびさ(でもないか)に衝動買いした本。
「モンテレッジォ小さな村の旅する本屋の物語」
通勤中に読んでいたのだけれど、思わず胸が熱くなった。
イタリアの山奥の小さな村に、本を愛し、本を届けることに命を懸けた人たちがいた。
これといった特産物のない村、あるのは男たちの「腕力」だけ。
本文で「いいな」と思った箇所をいくつか抜粋すると…。
----
「男手を必要とする農地へ、出稼ぎに行ったのですよ。景気が悪くなると、余所にも働き口はなくなった。村には特に売る産物もありませんでした。それで、本を売ったのです」
「だから、モンテレッジォの収穫祭は本なんです」
「父もそのまた父も、私たちの先祖は皆、古本を売りに歩いて生計を立てたのです」
自分たちの強みは、毛細血管のようにイタリアの隅々まで本を届けに行く胆力と脚力です。本は、世の中の酸素だ。皆で手分けして、漏れなく本を売り歩こう。それには、まず人材だ。
村の行商人たちは、子供たちに本売りの魂を教えた。
(中略)
六歳の子が重い籠を背負って、夜の山道を一人で歩く姿を思い浮かべて胸がいっぱいになる。
「モンテレッジォ人たちがしないで、誰がする。文化は重たいものなのです」
----
著者内田洋子さんの文章と、ふんだんに差し込まれる写真とともに、私も本の行商人たちの歴史を旅している気分になった。
もしも本屋で見かけたり、購入したなら、タイトルが書いてある幅広の帯部分を、そっと外してみてほしい。
そこにあるのは、周囲の山々の緑にのみ込まれるようにしてあるモンテレッジォ。
その立地に圧倒され、改めて見返し(※正確には、帯のそで部分でした)に書かれた村の碑文に心打たれるにちがいない。
(追記)
この本はフランス装といって、表紙の四辺(天地左右)を内に折り込んで、化粧断ちした糸綴じの中身をくるんで仕上げる製本方法が使われています。
あまり見ない製本なのですが、製本技術が今のように進んでいなかった時代には、フランス装のアンカット(本文の紙が断裁されていない)本が当たり前だったようです。
※この本の本文はちゃんと断裁されています。
「モンテレッジォ小さな村の旅する本屋の物語」
通勤中に読んでいたのだけれど、思わず胸が熱くなった。
イタリアの山奥の小さな村に、本を愛し、本を届けることに命を懸けた人たちがいた。
これといった特産物のない村、あるのは男たちの「腕力」だけ。
本文で「いいな」と思った箇所をいくつか抜粋すると…。
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「男手を必要とする農地へ、出稼ぎに行ったのですよ。景気が悪くなると、余所にも働き口はなくなった。村には特に売る産物もありませんでした。それで、本を売ったのです」
「だから、モンテレッジォの収穫祭は本なんです」
「父もそのまた父も、私たちの先祖は皆、古本を売りに歩いて生計を立てたのです」
自分たちの強みは、毛細血管のようにイタリアの隅々まで本を届けに行く胆力と脚力です。本は、世の中の酸素だ。皆で手分けして、漏れなく本を売り歩こう。それには、まず人材だ。
村の行商人たちは、子供たちに本売りの魂を教えた。
(中略)
六歳の子が重い籠を背負って、夜の山道を一人で歩く姿を思い浮かべて胸がいっぱいになる。
「モンテレッジォ人たちがしないで、誰がする。文化は重たいものなのです」
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著者内田洋子さんの文章と、ふんだんに差し込まれる写真とともに、私も本の行商人たちの歴史を旅している気分になった。
もしも本屋で見かけたり、購入したなら、タイトルが書いてある幅広の帯部分を、そっと外してみてほしい。
そこにあるのは、周囲の山々の緑にのみ込まれるようにしてあるモンテレッジォ。
その立地に圧倒され、改めて見返し(※正確には、帯のそで部分でした)に書かれた村の碑文に心打たれるにちがいない。
(追記)
この本はフランス装といって、表紙の四辺(天地左右)を内に折り込んで、化粧断ちした糸綴じの中身をくるんで仕上げる製本方法が使われています。
あまり見ない製本なのですが、製本技術が今のように進んでいなかった時代には、フランス装のアンカット(本文の紙が断裁されていない)本が当たり前だったようです。
※この本の本文はちゃんと断裁されています。